「プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで」を読んで

深井智朗氏著の「プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで」(中公新書 2017年3月)を読んだ。

内容は以下の通りだ。
500年前に世界の構造を揺るがしたといっても過言ではない出来事が起きた。いわゆる宗教改革である。

この本はその宗教改革がなぜ起きたのかローマ帝国時代まで遡り歴史的背景を丁寧に説明している。そうした丁寧な描写から浮かび上がってくるのは、ルターによる贖宥状販売批判と福音主義的思想は必ずしも教皇をトップとした教皇至上主義の批判ないし新たな宗派 の創設を目的としたものではないということだ。むしろ、彼は宗教改革に刺激され従来の構 造の是正を求めて農民が蜂起したドイツ農民戦争において農民の目標が社会変革であることを知り、弾圧する側へと身を転じているのである。しかし、当時の神聖ローマ帝国内の政治・宗教・経済の制度疲労への不満と結びついたことで、神聖ローマ帝国皇帝に不満を持つ諸侯によって政治の道具にされたのである。神聖ローマ帝国内はこうして混乱がつづくも、結局アウクスブルクの宗教和議でルター派(プロテスタント)かカトリックかを諸侯に選ばせる妥協で一応の決着がついた。

こうした流れを著者が明確に示して見せたのには訳がある。ルターは社会構造変革を願い宗教改革を行ったわけでなく、また神聖ローマ内での帰結は上に立つものが下にいるも のの宗教をも決定している状況に変わりはないということだ。このことこそ大切なポイントである。なぜならば、こうしたルター派の帰結を批判し、聖書を自らの意思で解釈し選ぶことこそ真実だと主張する新たなプロテスタント(洗礼主義)が登場するのである。著者はルター派を古プロテスタント、洗礼主義を新プロテスタントと呼ぶ。

著者はキリスト教において重要な役割を果たす教会を小学校という身近で分かりやすい 例に置き換え、両者の違いを具体化する。古プロテスタントの教会とは公立小学校で地区ごとに決められた学校に行くこと。新プロテスタントの教会とは市立小学校に行くことであると。公立小は公費で運営され教える内容も一緒である。こうした形態は変化を嫌い保護主義的になりやすい。一方私立小は勝手に人が来るわけではないのでいかに魅力を伝えて来てもらうかという企業的精神に基づく。また、教える内容も個々自由である。こうした形態は 資本主義と自由主義に基づきやすいのである。

古プロテスタントはその後プロイセン王国、ドイツ帝国、ナチスにおいて「ピューリタン革命、フランス革命よりもよりも早くに自由を勝ち得た革命」としてナショナルアイデンティティに利用される。前に述べたように古プロテスタンティズムが上からの決定で宗教を 決めるという側面はドイツがたどった歴史を見れば政治的にどうして利用されたのか想像に難くはない。ただ、勘違いしてはいけないのがアウクスブルクの宗教和議による妥協と歴史からの反省により現在のドイツにおけるプロテスタントは保守的な側面を持ちつつもそれは排外主義的なものと結び付けてはおらず自らの伝統を守るという意味で保守的であるということだ。この伝統の中には他者を容認する伝統が含まれているのだ。ドイツがEUの中で難民に寛容な国である理由はここに見出すことができよう。

こうして考えてみると新プロテスタントはどこを中心としたものであるのかは想像に難くはないだろう。そう、自由の国と形容されるアメリカである。自由主義・資本主義がどう してアメリカで発達したのか。もう説明しなくてもわかるだろう。過去の歴史がどのような経緯をたどってきたのかしっかり理解することで現在の現象も理解できると思うし、今後の情勢の予測というのも可能となるだろう。

きのぴー

投稿者プロフィール

慶應義塾大学
商学部
商学科
学部3年
東京都世田谷区

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